三年ほど前、「テレビはもうメディアとして末期的ではないか」ということを某新聞の紙面批評の場で申し上げたことがある。
ある巨大なメディアがビジネスモデルとして瓦解しようとしている事情をなぜ新聞は報道しないのかという私の言葉に対して、ひとりの論説委員が立ち上がって、「あのね、テレビを『俗悪だ』って批判すると、その番組の視聴率が上がるだけなんだよ」と渋面をつくって答えた。
私は別に個別的な番組の良否を問題にしていたのではなく、「あるメディアが命脈が尽きようとしている」興味深い歴史的状況についてどうして他のメディアは批評的に機能しえないのかという原理的な問題を述べたのである。「俗悪番組」とか「視聴率」とかいう「テレビ業界内的」なイシューには私は何の興味もない。
だが、渋い顔をしてみせた論説委員はテレビの問題を「テレビ業界内部的」な枠組みでしか考えることができなくなっていたのである。
私は「こんなのが論説委員をしているようでは新聞というメディアも長くはないな」と思って、気落ちしてその場を去ったのである。
新聞とテレビは久しく危機的状況にある。
けれども、どういうふうに危機的であるのかを新聞もテレビも報道しない。
組織防衛的な意味で、システムの脆弱性を秘匿して、延命をはかっている意図的な「見ないふり」ならまだ許せる。
けれども、どうやら事態はさらに悪く、彼らは日本のマスメディアが構造的危機に立ち至っているという事態を「うまく理解できていない」ようなのである。
おそらく、自己言及するための言葉を持たないという「批評性の欠如」そのものがこの二つの凋落しつつあるマスメディアの危機の本質であろうかと思う。
ある巨大なメディアがビジネスモデルとして瓦解しようとしている事情をなぜ新聞は報道しないのかという私の言葉に対して、ひとりの論説委員が立ち上がって、「あのね、テレビを『俗悪だ』って批判すると、その番組の視聴率が上がるだけなんだよ」と渋面をつくって答えた。
私は別に個別的な番組の良否を問題にしていたのではなく、「あるメディアが命脈が尽きようとしている」興味深い歴史的状況についてどうして他のメディアは批評的に機能しえないのかという原理的な問題を述べたのである。「俗悪番組」とか「視聴率」とかいう「テレビ業界内的」なイシューには私は何の興味もない。
だが、渋い顔をしてみせた論説委員はテレビの問題を「テレビ業界内部的」な枠組みでしか考えることができなくなっていたのである。
私は「こんなのが論説委員をしているようでは新聞というメディアも長くはないな」と思って、気落ちしてその場を去ったのである。
新聞とテレビは久しく危機的状況にある。
けれども、どういうふうに危機的であるのかを新聞もテレビも報道しない。
組織防衛的な意味で、システムの脆弱性を秘匿して、延命をはかっている意図的な「見ないふり」ならまだ許せる。
けれども、どうやら事態はさらに悪く、彼らは日本のマスメディアが構造的危機に立ち至っているという事態を「うまく理解できていない」ようなのである。
おそらく、自己言及するための言葉を持たないという「批評性の欠如」そのものがこの二つの凋落しつつあるマスメディアの危機の本質であろうかと思う。
— ミドルメディアの時代 (内田樹の研究室) (via katoyuu) (via kml) (via pdl2h) (via yaruo)